フィアレスでは、インプロ(即興演劇)を通してより魅力的な自分を作ることを目指した研修を行なっています。しかし、「魅力的な自分」ってどんな状態のことなんでしょうか?
今日はフィアレスが考える「魅力的な自分」の定義について解説したいと思います。
魅力的な人ってそんなに単純ではない。
“魅力的な人”と聞くとどんなイメージが浮かびますか?
例えば、笑顔が素敵な人、優しい人、生き生き仕事をしている人、面白い人、などが浮かんできやすいのかなと想像します。
しかし、人として魅力的であるとは、そんなに単純ではないことを、演劇や表現の活動をしていて感じます。例えば、花より男子の道明寺。かなり悪質ないじめをしていたり、お金持ちの御曹司として威張り散らしていたりと、なかなか最悪なスタートでしたが、彼の一途さとか健気さとかが徐々に見えてきて、好きな牧野のためにプライドも捨てていく姿が日本中を虜にしました。
他にも、逃げるは恥だが役にたつの平匡さん。仕事ができて無愛想で自己肯定感が低くて。だけど、みくりさんの想定外の提案にバタバタする姿がチャーミングで、とても魅力的でした。
多くのドラマや映画、アニメなどからもわかるように、欠陥があったり、何かに存分に右往左往したり、なんでそうなるんだと思うようなことをしでかしたりする人も、むしろそういう人の方が、心奪われる魅力的な人に映るものです。
その人がその人らしく生きている姿こそが魅力的だと定義しています。
無口でもいい。ノリが悪くてもいい。意地悪でもいい。そんな自分を隠さず、そんな自分として他者と共に生きている人を増やしていきたいと考えています。
そんな簡単にいかないのが社会性を持った人間というもの。
そうは言っても、自分らしく生きることが一番難しいことなのではと筆者は思います。人の悩みの9割は人間関係に関するものだという言葉もあるように、人との関わりの中で、評価を気にして自分が出せなくなったり、自分らしくいることで怒られたり、こんな自分でいたいと理想を追ってしまったりすることもたくさんあります。
自分らしくいるとはどういうことなのか。
そのために掲げられているインプロのヒントを一つ紹介します。
魅力的な自分への第一歩:傷つきやすい(Burnability)自分でいる
“傷つきやすい自分でいる”というのは、自分の実力に直面した時、自分の期待と違うものが来た時、それを真正面から受け止めて影響を受けることができる、ダメージを受けることができる自分でいるという考え方です。
突拍子もないことを言われた時、本当はびっくりしてドキドキしているのに、「別に平気ですけど?」という顔をして乗り切ろうとする場面はありませんか?
仕事でうまくいかなかったなと感じる出来事があった時、「私本当にできない人なんです」「何やってもダメで、今回もやっぱりダメでしたわ」と思っている以上に過剰にできない人を演じてしまった瞬間はありませんか?
これはどちらも、自分を守って隠してしまっている状態です。
ではこの状態だと何がいけないのでしょうか。
前者では多くの場合、相手に何かしらの違和感を与えています。
焦った気持ちを隠そうとすると、身体にどことなく緊張感が生まれます。緊張感というのは身体を通して伝染するので、相手にも同じように緊張させてしまうでしょう。
・悪い人なわけではないけど、なんとなく話が弾まない。
・良さそうなことは言っているけど、深いところで「いいね」と思えない。
・業務上のやり取りは問題なくできるけど、そのほかの話をしたいとあまり思えない。などなど。程度や感じ方に差はあれど、なんとなく好きになれない感を与えてしまいます。
他にも、実は焦っていることやそれを隠そうとしていることが相手にばれている場合があります。しかし、自分が隠そうとしていることは、相手が指摘がしづらいことなのです。「焦っているな」と勘づきながら、胸に秘めてその場を過ごしているかもしれません。その間相手の頭の中では、「何に焦っているんだろう?人前で喋ると焦っちゃう人なのかな?」「何か自分が驚かせるようなことを言ったのだろうか」と、いろんな懸念が生まれていたらどうでしょう。しかし、その懸念を場で出してももらえず、なんとなくお互いに「こんなもんか」で話が終わってしまうかもしれません。
もし、「わからない!」と思ったことを表情や身体や言葉でありのまま表現ができていたら状況は大きく変わります。自分が何を感じているのかが伝わり、緊張感なく感じていることについて言及してもらえます。例えば、「これがわからないと困るね」とか「ちょっと確認してきてもらえる?」といった会話をすることができます。結果、「ここがわからないことはダメなことだった」ことがわかったり、相手にとっては「わからないなら確認してまた教えてもらいたい」と伝えることができています。さらに、その正直な姿を笑ってもらったり、好きになってもらう可能性が大いにあるのです。
後者の、過剰に反省してしまう場合はどうでしょうか。
まず、酷い目に遭っている人には、これ以上攻撃してはいけないという人間の心理が働きます。
ある国で暴動が起きた時、血糊を頭から被って大怪我をしているアピールをした人が、誰からも攻撃されずに無事だったという話があります。
すごく落ち込んでいたり、かなり反省している人に対しては、それ以上責めることができない場合が多いです。過剰に反省している人には、それ以上指摘をできず、モヤモヤしたまま終わりになってしまったり、毎度慰めることになって嫌な気持ちになってしまったりすることがあるでしょう。
また、自分を責めているのは、自分のことを否定したり嫌いであるという表現でもあります。自分のことを嫌いな人を、好きになる人は多くありません。自分を卑下することで、周りからも好かれず距離ができてしまうことがあります。
実務的な話もしておきましょう。
過剰に反省してしまう場合は、明確に何ができて何ができなかったのかを振り返ることができていないことが多いです。
「全然できなかった」「難しかった」「自分は何をやってもだめ」というのは、反省しているようで、何ができなかったのか、どうしてできなかったのか、次できるようにするにはどうしたらいいのかということを考えることができていません。自分の現在地をしっかり見ることから逃げているのです。
できると思っていたことができなかったという事実よりも、自分はどうせ何をやってもできないという前提に立っていた方が傷つかなくて済むとは思いませんか?
傷つきやすい(Burnability)自分でいるというのは、実はとても勇気のいることです。
「わからない」ということで、恥をかくかもしれません。できていない自分に傷つくこともあるでしょう。でも、それらを受け取る強さがある。ダメな自分も曝け出すこと勇気を持っている。だからこそ、「わからない」や「できない」の先に行けたり、自分のことを魅力的に感じてもらうことに繋がっていきます。
ぜひ、日々の生活で、自分を守っていないか、恥をかくことを恐れていないか確認してみてください。気付くことから、魅力的な自分への一歩がスタートします。